December Flower ( Author : コンバット武士沢さま)


 


<1>

     
靴の中に血が溜まっていく感覚を思い出しながら、雨に煙る景色を見ていた。
−あの日も、雨が降っていた。
革と爪先の間を充たしてぐつぐつと不快な音を立てる液体の鈍重な感触。
その生温かさに眉をひそめるけれど、体温は下がっていく。指先が冷たい。
不安を奥歯で噛み潰しながら、名前を呼んだ。
ミレイユ・ブーケは記憶を振り切ろうと一度首を振り、再び窓の外へ目を向けた。
遠くからでも縦横をくっきりと浮かび上がらせる冬の街並みは、今日は雨にその輪郭を柔らかく曇らせている。
道行く人は急ぎ足で、皆それぞれに辿り着く場所が決まっているように思える。
パリ第6区、景色の素晴らしい古いアパルトマンの最上階。
窓から外を眺めているミレイユにも、行く場所は決まっていた。
ミレイユが窓を閉めて振り返ると、少し離れたソファに座っていた同居人は立ち上がった。
少女はソファに掛けてあったミレイユの室内用の薄い上着を手に近づいて来る。
上着を差し出して、ミレイユを見上げる。
わずかに、笑う。
外を見ている間、開け放した窓からは冷たい風が吹き込んで、部屋の温度も下がっていた。
ミレイユは上着に目を落とし、そして何も言わない霧香の顔を見る。
けれど黙って上着に手を伸ばした。
少し触れた霧香の手は、冷たかった。
「・・・お茶でも飲みましょ」
「うん」霧香は先ほどよりも嬉しそうに笑って、キッチンに向かって行った。
それは当たり前の、日常の一場面。ただ少女はほとんど足音をたてない。
ミレイユはその背中を目で追いながら思う。
・・・これは、ただの成り行き上の相棒。全てが終われば殺す相手。
しばらくして、霧香は紅茶を淹れたポットを持って戻ってきた。
揃いのカップに注がれる紅茶の香りを楽しみながら、ミレイユは本を読み進めた。
それは彼女にとって、仕事の前の小さな儀式のようなものだった。本を読みかけにしてこの部屋に残して行く。
続きは、仕事が終わってこの場所に戻ってから。
戦場へ赴く兵士の中には、家を出る前に果実酒を作ったり、模型を作りかけにしたりしておく者も多いと言う。
またここへ帰ってくるように、という自分の心への枷だ。
ミレイユもそんな気持ちは理解できる。ただ、ミレイユの儀式は温かい場所へ戻りたいという気持ちからではない。
彼女の人生の目的、ヴェンデッタを遂行するためのものだった。
どんな目に遭った時にも、必ず傷を癒しに戻りそして目的を果たすために。 
書物から、何かを学ぼうなどとは考えていない。
彼女に必要なものは少なく、そして全て手の中にある。
まだ幼い頃のミレイユは興味の向くまま、さして方向性も考えずただ本を読むことを習慣にしていた。
それだけが周囲の音を消し、一時だけ、過去を忘れることができる時間だったから。
いつからか、この習慣は微かに血の匂いのする儀式に変わった。
けれど本を読んでいる時だけは、今でも彼女は復讐のコルシカ人ではなくただの若い女だ。
ただ、一度目を上げて、本に適当な紙片を挟んで閉じた時からミレイユは、過去にデザインされた現在に隙間なく色を塗ろうと必死になっている復讐者に戻る。
彼女に必要なものは少なく、そして全て失われてしまった。
せめて手からこぼれなかったものを大切にしよう。
美しく明るい街並。光が満ち風の渡る部屋。濃く熱いコーヒー。注意深く整えられた静寂。
けれどそれらすべては本当は、彼女が最初に諦めたものの代わりに心を傾けられているだけだ。
この部屋はミレイユの闇を埋めない。彼女には、帰る場所などない。
「・・・そろそろ行きましょうか」半ばまで読んだ本に紙切れを挟んで閉じたミレイユは、紅茶のカップを口に運びながら言った。
以前はあまり紅茶など飲まなかったが、霧香と同居するようになってからは自然と家では紅茶を飲むようになった。
いつの間にか霧香がお茶の時間を担当するように
なり、好んで紅茶を淹れるからだ。
霧香はなかなか上手くやる。一度試しに自分で淹れてみたけれど、霧香と同じには出来なかった。
何となく悔しいので要領は尋ねていない。
「うん」
簡潔な答えを返したパートナーは、手入れの行き届いた愛用の銃を手にした。
「ミレイユ」
「何?」
「何でも近くにあるもの本に挟むの、ミレイユの癖だね」
言われて確かめると、今まで読んでいた本の頁にはコーヒーフィルタが挟まっていた。
そのままドアに向かった霧香は部屋を出る前にもう一度、ミレイユ、と小さく言った。
「ミレイユは、雨が嫌いなの?」
ミレイユは肩をすくめる。
「雨の日に仕事するなんて誰でも嫌いでしょ?」
心の内を見透かされたのが気に入らなくて、ミレイユはわざわざ付け加えた。
「ま、あんたみたいなキリングマシンには関係ないでしょうけどね」
霧香は、答えなかった。


<2> 


相手が移動するために体重を片足にかけた瞬間、その軸足をミレイユは思い切り払った。
相手は身体を一瞬空に浮かせ転倒した。水飛沫が上がる。
即座に倒れた男の腹に蹴りを入れた。しかしその蹴り足を掴まれた。
男はそのまま外側へ転がる。ミレイユは足を引っ張られ体勢を崩した。
掴まれた足に思い切って全体重を掛け踏み蹴った。
男は低く呻いて足を離したが、ミレイユがその足を地面につける前に立ち上がった。
よく訓練されている。しかし一瞬先にミレイユは銃を構える。
胸に2発。男は声も立てず崩れ落ちる。
−あちこちで恨みを買っている強引な事業家を殺害するという依頼はあっさり片づいた。
ただ予想外だったのは、標的が屋敷の中だけでなく退路となるであろう場所まで予測して徹底的に人を配していたということだ。
ミレイユの失策だった。呼吸を整えて拳で顔の水滴を拭う。
彼女が進んでいる方向の反対からは霧香のベレッタの発射音が続いていた。
サイレンサーを外している。打ち合わせたわけではないけれど、パートナーが陽動しているのは明らかだ。
霧香の方に人は集まっている。セオリー通りここは任せよう、彼女の腕なら心配ない。
しかしミレイユは一瞬躊躇する。こんな場面は以前にもあった。
雨の日、追手、銃声、血。震える声で名前を呼ぶ。
答えは、ない。
それでも記憶の再生を遮断して走り出す。
濡れて重くなっていく髪が顔に貼り付く。
不安を打ち消すようにただ自分の乱れていく呼吸を意識する。 
キリングマシンと言ったのは自分じゃないか。
あの子はどんな時でも鮮やかに殺して一人で戻ってくるに違いない。気に掛けることはない。
−不意に銃声が、止んだ。足を止めると、耳に入るのは降り続く雨の音だけになった。
ミレイユは少しの間、立ちすくんだ。雨は、好きじゃない。
ミレイユは、雨音を聞きたくなくてまた走り始めた。
今までとは逆の方向へ。
探していた相手は、壁にもたれて立っていた。
その足下に血だまりが出来ているのを見てミレイユはその場に凍りついた。段々速くなる自分の鼓動が頭の奥で響く。
雨の音が大きくなった。
大きく息を吸って、パートナーの名を呼んだ。
それだけのことに、全力で勇気を振り絞る必要があった。
声は小さくて、微かに震えた。
けれど雨に打たれるまま佇んでいた霧香ははっとして顔を上げる。
「ミレイユ!」嬉しそうに駆け寄ってくる。
ミレイユはほっとして濡れそぼった霧香の薄い身体を眺めた。
たっぷり水を含んだ服は血で汚れている。
「撃たれたの・・・?」
「ううん、私の血じゃない・・・ミレイユは?」
「何ともないわ」「良かった」「・・・危ないじゃない・・・一人で」
霧香は少し意外そうな目でミレイユを見上げて、やがてニッコリ笑った。
「大丈夫、約束したもの。私を殺すのは、ミレイユだから」
ミレイユは少しの間霧香を見つめ、息をついて首を振った。
霧香は、違う。ミレイユを置いて死ぬことはない。
たとえ黒い糸でも二人は結ばれているから。
同じ道を歩いて、同じ場所へ帰る。
だから・・・。 
「わたしは、あんたの言う通り、雨の日は好きじゃない。昔、雨の日の仕事で・・・ 自分の失敗で友達を死なせたから。」
「・・・ミレイユ」
この温もりに心を預けられるかもしれない。
無事で良かった、と言う代わりに、あんたを殺すのは自分だと言うしかなくても。
「勝手に死んじゃダメよ」
「うん」
霧香はまるでそれが甘い約束であるかのように微笑んだ。


<3>

シャワーを浴びてベッドに向かうと、ミレイユはちょうど本を一冊読み終えたところだった。
挟まっていたコーヒーフィルタを指で挟んでひらひらさせている。
ちょっと困った顔が楽しくて霧香はベッドの隣に入りながら言う。「この間借りた本には、角砂糖の包み紙が挟まってたの」
「あー、そう。」
少し拗ねた顔でミレイユは霧香の肩まで毛布を掛け直してくれる。
ミレイユは本を読むとき、適当にその辺りにあるものを何でも挟むので彼女の蔵書からは不思議な物がたくさん発見される。
きちんとしているように見える彼女の意外な粗忽さが霧香は何だか嬉しかった。
「・・・じゃあ、今度からあんたがどこまで読んだか覚えててくれたらいいわ」
「え?」
「寝る前にあんたが好きなもの読んであげるから」
「・・・いいの?」
「何度も同じこと言わせない。明日続きをどこから読むかあんたがちゃんと覚えとくのよ、何も挟まなくていいように。」
霧香は急いで本棚から一冊選んでミレイユに渡した。
ミレイユが柔らかく微笑んで最初のページを開く。
霧香は目を閉じた。
ミレイユの声は、懐かしいような気がした。
「こら、寝ちゃったの?」
ミレイユが髪を優しく梳いてくれるのが嬉しくて、霧香は曖昧な声を返した。
「どこまで読んだか覚えとくのよ」
「ん・・・」
「続きは、明日ね」
霧香はミレイユが本を閉じるのを薄目で見ながら、続きはまた明日、と心の中で繰り返す。


明日も、二人でこの部屋に帰って来られるように。

 

 



武士沢さんに「重苦しい話で、最後にあったかいやつ書いて〜」と無茶苦茶わがままなお願いをしたにもかかわらず
快く書いてくださいました!あけてビックリ、一気に読みふけりました!
単語の選び方とか、言い回しとか、そういう部分からもソリッドな雰囲気が漂っていて、カッコイイ文章なのです。
でも、どこか甘やかなニュアンスもあって。例えると、かちっとしたブラックスーツのインナーにフェミニンなものを
持ってくるという組み合わせと言えば分かりやすいですか?わ、分かりにくいですか(汗)例え下手だな・・私。
読ませてもらっていつもいつも「すごいなぁ」と感動するのです。
記憶の中に刷り込まれる感覚というのは、自分で思っている以上に鋭敏で、意識されたものだったりします。
人間は辛い事にとらわれないよう、忘却と言う才能を持っていますけど、完全の完全に忘れる事は不可能で
自分の奥のほうにそうした記憶は都合よくしまわれているだけ。それが感覚と言うキーで簡単に開いてしまう。
例えばその記憶のあった場所で嗅いだ匂いとか、天候とか。そんなものを不意に感じると、記憶が甦ってしまう。
誰にでもあることなんですが、その過去の記憶が壮絶なものだけに、ミレイユはそうとう苦しんでるんだなぁと
感じずにはいられませんでした。
ちなみにこのSSのラストは、私が15000HITキリリクで描かせていただいたイラストのイメージということで
照れくさいのと嬉しいのとで大喜びしました。
これはどうでもいいけど、私も本に手当たり次第その辺にあるものを挟む癖があるので、このミレさんと一緒〜♪
こないだ知人に貸した小説から、買い物メモが出てきたと笑われました・・。「東京ねぎ 一本」って書いてあったし・・。

文中に出てくる「ヴェンデッタ」という言葉は、コルシカの古い慣習で、被害者の家族が加害者に対して行う家族(組織)
ぐるみでの復讐の事です。日本で言う「仇討ち」みたいな感じ。
知らないよりは知っていた方がSSがもっと楽しめるかと思ったので、武士沢さんの代わりに追記させて頂きます。

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