気がつけば、あたりが深い黒に覆われていた。
嗚咽のようにこみ上げる不安と、背筋を舐めるような悪寒。
見えない恐怖に怯えながら、手探りで歩くうちに、ふとあたしの手を暖かいものが掴んだ。
姿は見えない。分かることは、あたしを掴んだぬくもりの正体が誰かの手であること。
それと、その手の持ち主をあたしはよく知っているということ。
あたしはその手を握り返した。


ささいな好奇心が、生活を一変することがある。
全ては、一通の写真と添付ファイルのついたメールから始まった。
まず、あたしが使っているメールやネットは、不特定多数の人間が閲覧できるようなものでは無く、
アンダーネット、つまり特定の人間のみアクセスできるような、幾重にも張られたタチの悪い
トラップをクリアしなければ閲覧できないようなものだった。
当たり前だが、表の、アッパーネットのサーチエンジンなんかでは絶対引っかからないようなもの。
それだけにあたしの元に届くメールは裏の仕事関係のものばかりで、スパムメールなどが届く事は
殆ど奇跡と言ってよかった。
また、自分の痕跡を示すことは自分の死につながる。
そういう仕事だからこそ、電脳処理には多少の自信があった。だからなんだろう、あたしの元に
届いた明らかに裏の仕事とは無関係に見えるメールに興味を持ったのは。
メールの開封とともに、添付された写真が開かれた。差出人の名前は「夕叢霧香(ゆうむらきりか)」
東洋系の幼い感じの少女、東洋人の特徴で、年齢が判別しにくいところがあるが、おそらくハイ
スクールに通っているような年頃だろう。黒髪をショートカットにした、どこかパッとしない地味な
印象ではあるが、整った顔立ちの少女だ。
雰囲気が地味というよりは、感情をどこかに置き忘れてきたような、表情のない顔。
整った顔立ちと相まって人形のようだと思った。
これで表情が豊かなら、存分に魅力的な美少女だが、この少女の場合は、理想的な顔のパーツを
理想的な場所につけたというような、作り物のような、体温を感じさせない美しさが感じられた。
自分と同じ世代であろう少女がどうしてこんなに乾いた雰囲気を纏っているのか、好奇心が沸いた。
さらに本文を見てみる。本文のメッセージが流れると同時に、添付された音楽ファイルが開いた。
あたしは凍りついた。高熱に冒されたときのような、いやな寒気がした。
遠い昔、よく聞いていたメロディ。悲しげで、聞き覚えのある懐かしい調べ。
ずっと心の奥に封印しておいた記憶を、むりやり他者の手によってこじ開けられたような気持ち。
流れるメロディはあたしの記憶を引きずり出し、流れる文章は、この無表情な少女に更なる興味を
覚えずにいられなかった。
「Make a pilgrimage for the Past,with me.」・・・過去への巡礼。
・・あたしの過去、そして霧香という少女の過去。
巡礼は、静かに、そして鮮やかに開始した。
霧香の母国である日本で、あたしたちは出会うべくして出会ったのだ。

出会ったばかりの霧香は正直、好きになれなかった。
いや、理解の出来ない不可解なものをどうやって好きになれるだろう。
霧香は容貌こそ儚げでおとなしそうだが、一切の記憶を無くし、あらゆる国の言語をよどみなく
話し、裏社会の情報に精通し、そして暗殺の技術は超一流だった。
感情がないのが原因かも知れないが、生への執着が全く無く、そこが特に恐ろしかった。
どんな一流の殺し屋でも負傷することや死ぬことは恐ろしい。
死への恐怖が無いということは、どんな状況下であっても、自分の生命を厭わず的確に相手を屠れる。
暗殺者としては喜ばしい能力かも知れないが、人間として見るには得体のしれない底なし沼のような
恐ろしさがある。人でありながら、人の心を持っていない。霧香に対してあたしはそう思っていた。
そんな霧香と手を組むことになったのだ。
霧香は無くした記憶を、あたしは家族を惨殺した敵を探し出すため。
霧香からのメールに添付されたメロディ。
あれはあたしの両親の形見の懐中時計から流れていたものだった。
家族が惨殺された現場で、天に召された家族の為に、レクイエムのように流れていたメロディ。
無くしたと思っていた形見の品を、なぜか霧香が持っていたのだ。
どういう因果かは分からなかった。
けれど霧香が過去から運んできた懐中時計によって、お互いの探し物は同じ所にあると確信したのだ。
あたしは霧香と便宜上手を組むことにした。その代わり真実をつかまえた時、あたしが霧香を殺す。
・・・そういう条件で、霧香と手を組んだ。
暗殺者は、自分の存在を知られたらやっていけない。
そんな常識にのっとった条件だった。
しかし、今思えば霧香という得体の知れない存在に恐れての条件だったのかも知れない。

あたしたちは自分たちの暗殺ユニットを「NOIR(ノワール)」と名づけた。
そして仕事の拠点をフランスにし、パリにあるあたしのアパルトマンで共同生活を始めた。
ノワール・・裏社会でも、超一流のさらに上に君臨した暗殺者の称号。
その真実も知らずに名乗ったあたしたちに数々の依頼が寄せられた。
そしてあたしたちはそのミッションをこなして行った。
霧香の潜在能力に幾度と無く助けられ、その度に自分の自信が覆されるような気がして悔しかった。
常に苛立ちは隠せなかったが、事実霧香がいなければあたしは死んでいたかもしれない。
悔しいけれど、そういう局面が何度もあったのだ。
幾度となく行ってきた命のやりとりと、そして共同生活をすることによって
あたしの中に忘れていた感情がよみがえってしまった。
家族が健在のころは当たり前に思っていた、惜しみなくあたしに向けられたぬくもり。
復讐を誓ってからは努めて忘れようとした暖かい感情。
暗殺を生業にするものは、必要以上に人と馴れ合うのは危険だと、恩師に言い聞かされていた。
仕事の時には、自分の素性が割れないように口封じをする。顔を見られたら、即、息の根を止める。
しかし、人間が人間である以上、どこでどんなミスを犯すか分からない。
まして裏社会の横の繋がりは一般的な想像をはるかに超えたすざましさがある。
ミスは瞬時に裏社会の隅から隅まで広まる。
ミスを犯して自分の素性が裏社会に広まったとき、たいていその報復を受けるのは本人ではない。
家族や恋人や友達などの、自分と親しくしている人間に向けられる。
それが最も効果的にダメージを与えられるからだ。残酷だが、それが裏社会の定石だ。
だからあたしは親しい人間関係を築かないようにしてきた。
なのに、どうしてだろう?最初は恐ろしくて快く思っていなかった霧香に、こんな情を抱くなんて。
暗殺技能は自分より一回りも二回りも上の霧香だが、生来素直で繊細な性格だからだろうか?
見ていてとても危うく思う。危うくて脆い。そこが気になってしまう。
気がかりで、いてもたってもいられない気持ちになる。手を差し伸べたくなる。
たまにあたしに見せてくれる、かすかな表情の変化がとても愛しく思えた。
そして、全面的にあたしを頼って信頼を寄せてくる霧香を放ってはおけなかった。
あたしは一匹狼を信条に今まで生きてきた。
でも本当は信頼できる誰かと一緒にいることを望んでいたのかもしれない。
人というのは、もともと寄り添っていなくては生きていけないのかもしれない。
出会って暫らく経ったころ、あたしは霧香に日本語を習った。
霧香には悪いが、正直習ったことをあまり覚えていない。
けれど、漢字の「人」という字だけは鮮烈に記憶していた。
この字も寄り添いあって一つの文字になっている。
まるであたしたちみたいだ、と思った。
いつだったか、あたしは霧香の事を「人の形をした、人ではないもの」と言っていた。
なのに今では、霧香を人として見ていて、そして親愛の情すら寄せている。
変わったのは、霧香だけではなかった。
あたしもまた、変わったのだ。

そして・・・あたしたちの巡礼は幕を閉じる。
今までに色々な辛いことがあったが、一瞬よみがえった霧香の記憶が一番辛かった。
いや、あたしが辛かったよりも、霧香の方が辛かったと思う。
あたしの家族の仇・・・仇は霧香だったのだ。
あたしは真実を受け入れたくなかった、ウソだと信じたかった。
芽吹き始めた暖かい感情を、ここで摘み取りたくはなかったから。
厳密に言えば、殺しの手引きをした人間は別にいる。
けれど霧香が手を下したのはまぎれもない事実。
そのときの状況では、霧香にとっては仕方が無いことだったのかも知れない。
けれど、事実は事実で、霧香はその罪を受け入れるべく、あたしに「殺して」と詰め寄った。
最初の条件と、仇打ちということで、あたしには十分霧香を殺す材料があった。
・・・だけれども、出来なかった。
まるで神経が人差し指に通わなくなったように、トリガーが引けない。
体の芯から来る震えに、銃を構えることすらままならない。
いや、例え体が自由に動いたとしても、自分の意思で殺せなかった。どうしても殺せなかっただろう。
それほどにあたしの心の中で、霧香という存在が大きくなっていたから。
そうでなければ、霧香が自分で命を絶とうとしたとき、あたしは止めなかっただろう。
ぬくもりを知らずにここまで来た霧香に、少しでもあたしが受けてきた愛情を分けてあげたかった。
そんな事よりも単純に生きて欲しかった。
これからも一緒に生きていきたかった。


「・・ん・・・?」あたりを見回すと、無機質な壁が闇に染まっていた。
唯一明かりといえる物は、ブラインドの隙間から入ってくる外の明かりと、医療機器のほのかな明かりだけ。
それでもあたしたちのまわりだけ闇が幾分やわらいでいた。
薄闇の中にぼんやり浮かぶ白いパイプベッドの上に、麻酔のまだ切れない霧香が横たわっていた。
穏やかな寝顔だ、もう大丈夫なのだろう。
どうやらあたしは面会客用に出された椅子に腰掛け、ベッドに突っ伏す形で眠っていたらしい。
最後の戦いで満身創痍だったあたしたちは、すぐさま知り合いの病院に向かった。
あたしの負傷は、左腕と太ももに受けたナイフ傷と銃創によるものなので、大したことはなかった。
しかし霧香はあたしを庇って腹部に銃弾を負ってしまった。
そちらが心配ですぐに見てもらったが、命には別状ないようだった。
別状はない、とは言っても、襲い掛かる激痛は並大抵ではない。
霧香がこうして穏やかに眠るまで、あたしも不安で仕方がなかった。
生還した実感と、霧香が生きていることに触れてみたくて、そっと霧香の頬に触れてみた。
失血のため若干顔色はよくないが、触れた指先から伝わるほのかな体温に安堵した。
そのまま額にはりついた髪をかきあげると、麻酔から覚醒した霧香がうっすらと目を開けた。
あたしはまだ霧香に触れている事に気がつき、気恥ずかしくなってあわてて右手をひっこめた。
しばらく霧香の視線は泳いでいたけれど、やがてあたしの視線とぶつかって、しばらく見詰め合う形になった。
まっすぐな視線に照れくさくなり、あたしは口を開いた。
つとめて明るく、照れをごまかすように冗談を交えて。
「おはよう。眠り姫、気分はどう?そばにいたのが王子様じゃなくて悪かったわね。」
文学に造詣を持たない霧香に意味は分からなかったのだろう。
最近よく見せてくれるようになった、はにかんだような微笑を浮かべていた。
あたしもつられてにっこりと笑った。
思いがけず霧香が言いにくそうに「あの・・」と話しかけてきた。
その時霧香の瞳に悲しみが宿っていることに気がついた。
何を聞こうとしているかあたしには分かっている。だから言葉を遮った。
そして、ゆっくりと、自分の気持ちを言葉にする。なんだか照れくさいけど。
「あの約束なら、忘れたわ。しょせん口約束よ?ねぇ、あたしは家族を失った。
その悲しみをまたあたしに味あわせるつもり?
あの約束を果たすという事はまたあたしは家族を失うことになるのよ。
もう二度と辛い思いはごめんだわ。
それにね、あたしたちはソルダに逆らったのよ。これからも闘争の日々は続くの。
あたし一人では正直な話、切り抜けられない。だから今までどおり、二人で戦っていくの。
嫌だとは言わせないわよ、あんただって自分の意思でソルダに逆らったんだからね。」
霧香は黙って聞いていた、横になっているから俯くことが出来ない代わりに、横を向いて。
でもあたしは見てしまった。薄暗い室内でもはっきり分かる涙の粒を。
胸の奥底からしぼりだすように、かすれた声で霧香が言った。
「家族・・私とミレイユが・・私は生きててもいいの・・?死ななくていいの・・?」
点滴で自由の利かない手で、なんとか涙を拭おうとする霧香の代わりに、指で涙を拭いながら、あたしは笑って言った。
「そこまで理解できているなら話は早いわね。じゃ、肝心な話にゆきましょうか。」
あたしはすっと霧香の手を取った。
霧香の小指に、自分の小指をからめると、上下に振ってみた。霧香はされるに任せていた。
「前の約束は口約束だったからね。日本では忘れてはならない約束をするとき、こうするんでしょう?」
思いがけないあたしの行動に驚いた霧香を見て、さらに続ける。
「あたしたちは今まで通り、二人で戦う。だって、あたしにとって霧香は、かけがえのない家族なんだし」
霧香がゆっくり起き上がって、あたしと向き合った。
からめたままの指を、もう一度上下に振って、霧香は何事かつぶやいた。
「ゆびきりげんまん、っていうの。約束を忘れないようにするための、日本のおまじない。だから約束、忘れちゃやだよ。」
そして、にっこりと笑った。晴れやかな、魅力的な笑顔だった。
「あたりまえでしょ。」つられるようにあたしも微笑み返し、そのまま霧香の肩を抱きしめた。
ほの暗い病室で交わされた、新しい約束。
絆がもう解けないように、寄り添ってひとつになった影。
暗い部屋とは対照的に、心の中は晴れやかだった。


握り返したあたしの手を、さらに強く握り締めてくれた。
深い闇の中、あたしの手をとってくれたあんたの手。
触れられた手から伝わるぬくもりが、じんわりと恐怖を溶かしていく。
そばにいてくれる。その事実があたしの弱気を払拭してくれる。
ほのかな暖かさが、あたしに前へ進む力をくれる。
たとえ言葉を交わさなくても、あたしには分かる。
あたしはもう、暗闇を恐れない。
あたしはもう、一人じゃない。

-Fin-

 


あとがきのような物
本当に文才がないので、非常に拙い小説ですが、本人は書いてて楽しかったです。
ノワールファンの大半の方は、最後ミレイユと霧香は今まで同様ハッピーに暮らすと考えていると思われます。
私もそうなので、それっぽいラストを自分なりに作ってみました。
ミレイユ視点なのは、単に私がミレイユスキーだからです。愛だよ、愛(笑)
ラブなのは他のサイト様で素晴らしいのが読めるので、そちらで読まれることをオススメします(笑)
私の中では、ミレイユと霧香は家族みたいなカンジなんです。
文中でもミレイユが「家族だ」と述べていますが。おそらく姉妹ってところでしょうか?
家族のように、普段意識はしないけど、愛情や結束は絶対揺るがないってそんな感じ。無償の愛。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

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